沖縄の風の高良鉄美です。
私はこの三年間、外交防衛委員会に所属して、沖縄に関連し、憲法の問題、そして米軍基地の問題など取り扱ってまいりました。
沖縄、特にこの米軍基地問題では突出して全国で断トツに、施設数やあるいは米軍基地の面積がそういう状況になっています。米軍基地の面積は全国の七〇%強、これはかなり有名です。米軍の総施設の数は四〇%強が沖縄に集中しています。しかも、沖縄県の面積は全国の〇・六%にすぎないわけですから、この集中度はもう常軌を逸していると言えます。このように、基地の過密状態のゆえに、基地の中に沖縄があると言われ、多発する事件、事故の中には日米関係に影響を与える問題にまで発展することもありました。
沖縄における米軍基地の整理縮小についてお尋ねします。
復帰前の米軍統治下にあった沖縄では、激しい軍事演習や墜落事故の恐怖におびえ、自治は神話であると言われたほど米軍優先で、まさに主権在米の状態でした。また、基本的人権のじゅうりんは常態化していたと言っていいでしょう。まさに日本国憲法で言う戦争の放棄、主権在民、基本的人権の尊重という三つの基本原理が全くない状態に置かれていたと言えます。
一九七一年十一月には、沖縄返還協定を審議する第六十七回臨時国会、いわゆる沖縄国会ですね、が開かれていました。当時の屋良朝苗行政主席は、沖縄の不合理な状態を知ってもらうため、平和憲法の下への復帰を希求する県民の思いを込めて、いわゆる復帰建議書を作成しました。十一月十七日、屋良主席が当時の佐藤栄作首相にこの建議書を手渡すため羽田空港に降り立ったちょうどその頃、広大な米軍基地を残したままの沖縄返還協定が衆議院特別委員会で強行採決をされました。サンフランシスコ講和条約による沖縄の分離も、屈辱の日と沖縄では呼んでいますけれども、沖縄県民の命と暮らしが関係してくる重要な問題が県民の意に反する形で頭越しに決まったことに対し、これは県民にとっても、この日も屈辱の日と言えます。
十一月の二十四日には、強行採決をカムフラージュするように非核兵器ならびに沖縄米軍基地の縮小に関する衆議院決議がなされました。
これ資料一を御覧ください。(1)の2ですが、そこには、沖縄における米軍基地の速やかな将来の整理縮小をとるべきであるとまで書かれています。しかし、あれから五十四年が過ぎました。速やかどころか、五十四年もたなざらしです。
五十四年前の沖縄国会において採択されたこの非核兵器ならびに沖縄米軍基地の縮小に関する衆議院決議が意味を持つのであれば、復帰以降どのような具体的な米軍基地整理縮小の実施あるいは計画等がなされたのか、お示しください。
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滝沢求(自民)
申合せの時間が参りましたので、おまとめください。
この発言のページ
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山添拓(共産)
時間ですから終わりにしますけれども、具体的な問題が一体あったのかなかったのか、これではらちが明きませんので、この間の研究結果を踏まえて、具体的に日本が批准した場合の問題があるのかどうか、その点をまとめて委員会に報告を求めたいと思います。そして、その問題、一つも指摘できないんだったら、心配は杞憂だということですから、直ちに批准に進むべきだと、委員長にお取り計らいを求めて、質問を終わります。
この発言のページ
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滝沢求(自民)
後刻理事会で協議いたします。
この発言のページ
- (上の発言)
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高良鉄美政府参考人など
沖縄の風の高良鉄美です。
私はこの三年間、外交防衛委員会に所属して、沖縄に関連し、憲法の問題、そして米軍基地の問題など取り扱ってまいりました。
沖縄、特にこの米軍基地問題では突出して全国で断トツに、施設数やあるいは米軍基地の面積がそういう状況になっています。米軍基地の面積は全国の七〇%強、これはかなり有名です。米軍の総施設の数は四〇%強が沖縄に集中しています。しかも、沖縄県の面積は全国の〇・六%にすぎないわけですから、この集中度はもう常軌を逸していると言えます。このように、基地の過密状態のゆえに、基地の中に沖縄があると言われ、多発する事件、事故の中には日米関係に影響を与える問題にまで発展することもありました。
沖縄における米軍基地の整理縮小についてお尋ねします。
復帰前の米軍統治下にあった沖縄では、激しい軍事演習や墜落事故の恐怖におびえ、自治は神話であると言われたほど米軍優先で、まさに主権在米の状態でした。また、基本的人権のじゅうりんは常態化していたと言っていいでしょう。まさに日本国憲法で言う戦争の放棄、主権在民、基本的人権の尊重という三つの基本原理が全くない状態に置かれていたと言えます。
一九七一年十一月には、沖縄返還協定を審議する第六十七回臨時国会、いわゆる沖縄国会ですね、が開かれていました。当時の屋良朝苗行政主席は、沖縄の不合理な状態を知ってもらうため、平和憲法の下への復帰を希求する県民の思いを込めて、いわゆる復帰建議書を作成しました。十一月十七日、屋良主席が当時の佐藤栄作首相にこの建議書を手渡すため羽田空港に降り立ったちょうどその頃、広大な米軍基地を残したままの沖縄返還協定が衆議院特別委員会で強行採決をされました。サンフランシスコ講和条約による沖縄の分離も、屈辱の日と沖縄では呼んでいますけれども、沖縄県民の命と暮らしが関係してくる重要な問題が県民の意に反する形で頭越しに決まったことに対し、これは県民にとっても、この日も屈辱の日と言えます。
十一月の二十四日には、強行採決をカムフラージュするように非核兵器ならびに沖縄米軍基地の縮小に関する衆議院決議がなされました。
これ資料一を御覧ください。(1)の2ですが、そこには、沖縄における米軍基地の速やかな将来の整理縮小をとるべきであるとまで書かれています。しかし、あれから五十四年が過ぎました。速やかどころか、五十四年もたなざらしです。
五十四年前の沖縄国会において採択されたこの非核兵器ならびに沖縄米軍基地の縮小に関する衆議院決議が意味を持つのであれば、復帰以降どのような具体的な米軍基地整理縮小の実施あるいは計画等がなされたのか、お示しください。
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中谷元(自民)防衛大臣
本日はかりゆしの日ということで、政府はかりゆしを着用して沖縄の方々の気持ちを忘れないようにということで心掛けております。
その後の取組といたしましては、沖縄の基地負担軽減、一貫して取り組んでおりまして、これまでに九千三百ヘクタール以上の返還を実現、米軍施設の区域面積は本土復帰時点から三〇%以上縮小しております。
現在は、沖縄統合計画に基づきまして、人口が密集する沖縄本島中南部において一千ヘクタール以上の土地を早期に返還できるように移設工事を着実に進めているところでございまして、今後とも沖縄の基地負担軽減について全力で取り組んでまいります。
この発言のページ
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高良鉄美政府参考人など
今取り組んでいる最中であるということもお聞きしました。
戦後五十年の一九九五年九月に発生した米兵による少女暴行事件に対応した一九九六年のSACO、沖縄特別行動委員会ですね、その合意の返還施設十一個あるわけですけれども、そのうち七つが代替施設として県内移設を条件にしているというわけです。これは基地の整理縮小と逆行するんじゃないかと、県内移設はですね。これによりますと、六五%近くが沖縄に残るようではやはり基地の整理縮小は実感しないと、沖縄の人々にとってはですね、というふうに言えると思います。
参考までに資料の一枚目、資料一の一枚目、二枚目、三枚目、四枚目…
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120茂茂籠勇人防衛省大臣官房施設監
お答えいたします。
令和五年度末時点における自衛隊の駐屯地、基地などの施設数は二十五施設、そして面積の方は約七百九十五ヘクタールでございます。
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