赤嶺政賢 (日本共産党)

2025年4月17日・第217回国会 衆議院 安全保障委員会 第8号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 8 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 184 発言)

大臣、はしょって、いろいろ問題のあるところを飛ばして答弁する必要はないですよ、一問一問聞いていきますので。しかも、私、今日は十五分しかないので、端的にお願いします。

当時の稲嶺知事は、代替施設を受け入れる上で、県民が納得できる条件として、軍民共用それから使用期限十五年を設けて、苦渋の選択をしたわけですね。一九九九年ですよ。国、県、名護市による基本計画の策定や作業の経緯を踏まえれば、絶対にL字型案、2プラス2は容認できるものではないという、怒りに満ちたコメントを出しております。

九九年当時、国、県、名護市の三者で合意したことは、先ほどの大臣の答弁にもあるように、あります。しかし、それは県内移設という限られた選択肢を押しつけられた下で、北部地域の振興のために軍民共用空港とし、米軍の使用は十五年に限るという前提条件の下に合意したものでありました。

私たちは、十五年の使用期限などできるはずがないと批判をしましたが、それでも当時の保守県政としては、県民との関係で、それが受け入れられるためのぎりぎりのラインだったのであります。

ところが、その九九年合意、それを一方的に破棄して、ほごにしたのは日本政府です。軍民共用も十五年の使用期限も捨て去り、文字どおり米軍専用施設にしてしまいました。しかも、移設場所、建設場所は、沖合から集落に近い沿岸域に変更をいたしました。地元としてのめるはずがない案を沖縄県や名護市の頭越しに、日米両政府だけで決めてしまったんです。

稲嶺県政の苦渋の選択をないがしろにして、協力関係を壊したのは日本政府の側だったのではありませんか。

前後のやりとり

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