ということは、総支部内にある支部についての管理ができていなかったという話ですね。正式に総支部長でありながら支部の代表も兼ねているという状況の中で起こった話であるということですけれども。
二年連続で収支報告がないということになった場合に、政治団体としての資格がなくなるわけなんですけれども、資格がなくなった日はいつですか。
2024年12月23日・第216回国会 衆議院 東日本大震災復興・防災・災害対策に関する特別委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 10 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 164 発言)
ということは、総支部内にある支部についての管理ができていなかったという話ですね。正式に総支部長でありながら支部の代表も兼ねているという状況の中で起こった話であるということですけれども。
二年連続で収支報告がないということになった場合に、政治団体としての資格がなくなるわけなんですけれども、資格がなくなった日はいつですか。
先日、国会におきまして、私が知多市支部の代表を務めていたのは二〇一〇年の春までであり、そのため、この後の当該団体の活動内容については承知をしていない旨御答弁を申し上げたところでございます。 経緯を説明させていただきますと、二〇〇九年の分の収支報告書が未提出であったのは、当時の事務担当者のミスであるということを承知しております。当該事務担当者は、前年分までは収支報告書をしっかり提出していたので、信頼して任せていたのが非常に痛恨の極みであります。本当に申し訳ないと思っております。今後このようなことがないように、自分自身も含めて、しっかりと引き締めて対応して…
という答弁を参議院でもなされたわけなんですけれども。
これは国民の皆さんはよく分からないかもしれませんが、我々、衆議院議員になるときには、総支部というのを結成をして、衆議院の選挙区全体の支部の代表者になるというのが一般的だと思います。
伊藤大臣は二〇〇五年初当選でありますので、当時もう既に総支部長として衆議院小選挙区全体の総支部長をされているわけですが、そのときにこの知多市支部の代表を兼ねているという形になっているんだろうと思います。この九年、一〇年、知多市支部の代表を兼ねていた理由をお聞かせください。
一九九九年、私は、愛知県の県議選に知多市の選挙区から立候補をし、初当選をいたしました。そして、自由民主党の愛知県知多市支部の支部長となりました。 その後、二〇〇五年、先生がおっしゃったとおり、九月に私が県議から国会議員となった後は、私の後を継いだ県議が知多市支部長となりました。当該県議は二〇〇七年四月の県議選に落選をいたしまして、その後は、新しい候補者が四年後の二〇一一年の県議選に向けて準備を行うとともに、知多市支部の事務を担当することとなっておりました。 この新しい候補者は、二〇〇八年三月に、前年の二〇〇七年六月十日付で私を知多市支部の支部長とする…
ということは、総支部内にある支部についての管理ができていなかったという話ですね。正式に総支部長でありながら支部の代表も兼ねているという状況の中で起こった話であるということですけれども。
二年連続で収支報告がないということになった場合に、政治団体としての資格がなくなるわけなんですけれども、資格がなくなった日はいつですか。
知多市支部が収支報告書の未提出により政治資金規正法上のみなし無届け団体となったのは、新しい支部長が選任された後の二〇一一年四月一日と承知をしております。
二〇一一年の四月一日で資格がなくなって、その後は政治団体でなくなりますから、寄附を受けたり支出をするということが禁じられる、許されていないという状況になるわけですけれども、当時は御存じなかったと思いますけれども、これは質問の要旨を提出しております。その後の活動実態について、お分かりになったことはありますか。
二〇二三年の四月、事務担当者でありました県議が引退をし、新たに当選した宮島県議が支部長となり、支部長としての事務を進めていたところ、県の選挙管理委員会より、過去未提出であった二〇〇九年、二〇一〇年の二年分の収支報告書があることと、これにより過去の支部がみなし無届け団体となることを伝えられ、宮島県議が、選挙管理委員会の指導に従い、二年分の収支報告書と支部の解散届を二〇二四年三月二十八日付で提出したところであります。私は、このことを後で知った次第であります。 その後なんですけれども、知多市支部は、二〇一〇年六月の支部総会において新しい支部長が選任されており…