立憲民主党、森山浩行でございます。
この委員会、復興それから災害対策という二つの委員会を一つにしての発足ということになったわけですが、本来であれば、この委員会、それぞれが三時間及び三時間余りというような所信質疑があるということが前提でありましたけれども、今回、非常に時間がないという中で、合わせて三時間しかないということでございますので、これでは十分な審議という形にはなりません。
これは、年が明けてからということになりますけれども、しっかり審議時間を取っていけるように、与野党力を合わせて頑張っていきたいというふうに思います。特に災害対策というのは与野党を超えてという問題でありますので、充実した審議をしていきたいと思います。
という中でありますけれども、非常に残念なのが、まず大臣の不祥事の話をしなきゃいけない。
伊藤復興大臣が代表を務めた自民党の支部の収支報告書を十年以上も出さずに活動という報道がありました。参議院ではおわびをされていますけれども、この経過、御報告ください。
3
金子恭之(自民)
東日本大震災からの復興・防災・災害に関する総合的な対策に関する件について調査を進めます。
この際、お諮りいたします。
本件調査のため、本日、政府参考人として内閣官房防災庁設置準備室次長、内閣府政策統括官高橋謙司君、復興庁統括官山野謙君、復興庁統括官桜町道雄君、復興庁統括官付審議官牛尾則文君、消防庁国民保護・防災部長小谷敦君、法務省大臣官房司法法制部長松井信憲君、文部科学省大臣官房学習基盤審議官森孝之君、文部科学省大臣官房審議官橋爪淳君、文部科学省大臣官房文部科学戦略官今井裕一君、厚生労働省大臣官房高齢・障害者雇用開発審議官藤川眞行君、厚生労働省大臣官…
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4
金子恭之(自民)
御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
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金子恭之(自民)
質疑の申出がありますので、順次これを許します。森山浩行君。
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- (上の発言)
6
森山浩行(立憲)
立憲民主党、森山浩行でございます。
この委員会、復興それから災害対策という二つの委員会を一つにしての発足ということになったわけですが、本来であれば、この委員会、それぞれが三時間及び三時間余りというような所信質疑があるということが前提でありましたけれども、今回、非常に時間がないという中で、合わせて三時間しかないということでございますので、これでは十分な審議という形にはなりません。
これは、年が明けてからということになりますけれども、しっかり審議時間を取っていけるように、与野党力を合わせて頑張っていきたいというふうに思います。特に災害対策というのは与野党を超えてという問題でありますので、充実した審議をしていきたいと思います。
という中でありますけれども、非常に残念なのが、まず大臣の不祥事の話をしなきゃいけない。
伊藤復興大臣が代表を務めた自民党の支部の収支報告書を十年以上も出さずに活動という報道がありました。参議院ではおわびをされていますけれども、この経過、御報告ください。
7
伊藤忠彦(自民)復興大臣
先日、国会におきまして、私が知多市支部の代表を務めていたのは二〇一〇年の春までであり、そのため、この後の当該団体の活動内容については承知をしていない旨御答弁を申し上げたところでございます。
経緯を説明させていただきますと、二〇〇九年の分の収支報告書が未提出であったのは、当時の事務担当者のミスであるということを承知しております。当該事務担当者は、前年分までは収支報告書をしっかり提出していたので、信頼して任せていたのが非常に痛恨の極みであります。本当に申し訳ないと思っております。今後このようなことがないように、自分自身も含めて、しっかりと引き締めて対応して…
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8
森山浩行(立憲)
という答弁を参議院でもなされたわけなんですけれども。
これは国民の皆さんはよく分からないかもしれませんが、我々、衆議院議員になるときには、総支部というのを結成をして、衆議院の選挙区全体の支部の代表者になるというのが一般的だと思います。
伊藤大臣は二〇〇五年初当選でありますので、当時もう既に総支部長として衆議院小選挙区全体の総支部長をされているわけですが、そのときにこの知多市支部の代表を兼ねているという形になっているんだろうと思います。この九年、一〇年、知多市支部の代表を兼ねていた理由をお聞かせください。
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9
伊藤忠彦(自民)復興大臣
一九九九年、私は、愛知県の県議選に知多市の選挙区から立候補をし、初当選をいたしました。そして、自由民主党の愛知県知多市支部の支部長となりました。
その後、二〇〇五年、先生がおっしゃったとおり、九月に私が県議から国会議員となった後は、私の後を継いだ県議が知多市支部長となりました。当該県議は二〇〇七年四月の県議選に落選をいたしまして、その後は、新しい候補者が四年後の二〇一一年の県議選に向けて準備を行うとともに、知多市支部の事務を担当することとなっておりました。
この新しい候補者は、二〇〇八年三月に、前年の二〇〇七年六月十日付で私を知多市支部の支部長とする…
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